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カラッキシ・ナイロビ
「ナイロビからのひとりごとNo.2 −キベラ突撃潜入編」
ジャンボ!皆さんしばらくです。今回は2回に分けて先週末に訪ねたスラムについて
です。
2002年5月26日(日)快晴
キベラ突撃潜入レポ(前編: お宅拝見!)
ついにキベラを再び訪れる日が来た。3年ぶりである。
あの辺りから漂う悪臭、屈託なくちょっと興奮気味に“ハウアーユー?ハウアーユ-?”
“ムズング!ムズング!”と言って近寄っては握手を求めてくる子供たちの姿が浮かんで
くる。
キベラとはナイロビにあるケニアで一番、アフリカで二番目に大きいと言われるスラ
ムなのだ。人口は80万人ぐらいらしい。誰も正確な数は知らない。
訪問は雨期が過ぎて実現した。
かねてから約束していた勤務先のケニア人スタッフの家に招かれた。
彼の名前はオニャンゴ。妻ひとり、子供4人のパパなのだ。
なぜ雨期が過ぎるのを待っていたのか?それは、雨が降ると彼の住むキベラ地区はぬ
かるみにぬかるみトンデモナイことになってしまうからだ。
その日は、午後一時にキベラ沿いの道端で待ち合わせ。ジャンボ荘で僕のお隣さん日
本人青年Mに車で連れてきてもらった。M青年にとっては初めてのスラム突入であ
る。緊張した面持ちである。待っていたオニャンゴと彼の妻、それから友人が車に乗
り込み、キベラ深部へと我々を導いて行く。道がどんどん細く険しくぼこぼこになる
つれ、Mの顔もどんどん険しく眉間にしわが寄ってきた。さっきから車の底はゴツ
ン、ガタン、グワタンと激しい音を立てている。こりゃ車が壊れちゃうなと思いつ
つ、がしがしと悪路をセダンが進んで行く。
オニャンゴが“そこを右!”といった瞬間、Mはついに“No, I can’t!!”と荒げた
声で答えた。見るからに彼の車では越えることが出来ない凹凸である。内心僕もおい
おい、オニャンゴここを通れというのかい?と思った。仕方なく、来た道を引き返し
少し離れたところから歩いて行くことにした。目の届かぬ所に車を置いて離れること
を嫌い、スラム拒絶反応を起こしてしまったMは僕を降ろし、後で迎えに来ることに
なった。仏頂面であった。刺激が強すぎたようだ。申し訳ない。
さて、気を取り直して我々一行はオニャンゴの家へと向かう。道は更に細くボコボコ
になっていく。路沿いに適当に掘ってある排水溝にはごみが溜まって相変わらず何と
も言えないニオイを辺りに撒き散らしている。
去年キベラ内で引越しをした彼の新居はハイム内山208号室の半分ぐらいの広さ。
入った瞬間暗くてよく見えないが、そのうち目が慣れると部屋の中も見えてきた。一
部屋を布で応接用と台所・寝室用のスペースに区切って使用している。そこで親子6
人が暮している。部屋の中はきれいに片付けられ床は地面だがごみ一つない。
家の前にはすぐ別な家が立っている。42条2項道路の騒ぎではない。密集の極致であ
る。全体は長屋式である。屋根はトタン、壁は土と木、床は地面である。水道、電
気、ガスといった公共サービスはもちろんない。近くに水が引かれておりポリタンク
等に注いで購入する。ただし、その水道代金が市の水道局に支払われているかは不
明。
以前はなかったテレビがあるではないか!!電気無いのにどうやって見てるん
だ?!?!と聞くと、バッテリーで観ているらしい。映りの悪いテレビにアメリカの
プロレス番組が流れていた。年老いたハルクホーガンがひどく弱々しく見えた。この
テレビ、4日に一度は充電が必要で充電一回につき30Kshかかる。
ピーナッツと、外のキオスクで買ってきたコーラを振る舞われる。奥さんが料理に取
り掛かる。フライドミートとトマトを一緒になんだかよく分からぬ調味料で炒めたも
のとウガリ。これが中々美味であった。ごちそうである。水を出されたが、むむ、こ
れを飲むと肝炎かチフスか…..?!色々頭をよぎり結局口にはしなかった。
遅い昼飯の後、家の前で家族写真を撮り、男共はギラギラと照り付ける太陽の下、真
昼のキベラを飲み屋を求めて御出かけした。
つづきは次号にて。
オシミズ
ナイロビにて
注1)ジャンボ荘:正式名称Jambo Holding。筆者のナイロビでの居住地。詳しくは、
後日述べる。
注2)ハイム内山208号室:筆者が以前住んでいた東京にある木賃アパート。4.5畳
二間。詳しくはハイム内山便り参照。
注3)42条2項道路:東京等の密集地でよくお見掛けする4m未満の道に面する家が立
替えを行う際に、土地を道路として提供しなくてはならないと建築基準法で定められ
ている道路。ちなみに前出のハイム内山は当該道路に囲まれちゃっている。
写真説明:オニャンゴの家の前で彼の子供たちと友人と。友人が恐い顔つきをしてい
るが実際は始終笑顔であった。3年ぶりの再会をとても喜んでくれた。
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