カラッキシ・ナイロビ
「ナイロビからのひとりごと No.1 」


皆さんGWはいかがお過ごしですか?

もちろんここケニアにはGW等無いのですが、5/1はLabour Dayで休日でした。
この休日を利用してナイロビから車で1時間離れた丘の向こうへNyama Cyoma
(焼き肉)を食べに行ってきました。現在雨季のケニアでは、毎日雨が降っていま
すが、当日は天気も良くドライブ日和でした。

(一部描写がお食事中には添わないところがあるやも知れませんのでご了承くださいませ。)

10人ほどの日本人の方々と、行きました。現地について、ブツを見ました。若い
ケニア人男性が一頭の羊と山羊の合いの子(ラパスと呼ばれている)をひもで引っ
張りながら連れてきました。Nyama Cyomaと言うと通常山羊の肉を使うらしいの
ですが、このラパスはそれよりも美味しいとのこと。
一頭をKsh2800(4480円:Ksh1=1.6円)で買上げました。

場所を変え、斜面をほんの少し登り人目のあまり付かないところで屠殺します。
大方の人は食べる場所で待っていましたが、屠殺するところを見に行きました。
今回さばいてくれたのは4年の経験のジェームスです。

首をかき切り、血を出します。しばらくは足をばたばたさせていました。
つい先ほどまで元気に歩き回っていたのに………。 南無阿弥陀仏。 人間の業の
深さを感じました。 命とは何と儚いものか。

さて、気を取り直して、それから手際よく皮/毛を剥ぎ内臓を取り出します。小腸は
内容物を取り出し肉と血を詰め込み腸詰めにします。肉がそれぞれのパーツに
分解されてから炭火にかけます。焼き上がるのに30分以上はかかります。

肉は大きなブッロクが塊でやってきてそれを店の人がナイフで食べやすいように
細切れにしていきます。ウガリを手で丸め、肉に塩を付けピリピリと一緒にほうばる。
己の業の深さに感じ入りながら、やはりうまい!!と舌鼓を打ちながらタスカを
ぐびぐびとやるわたしには涅槃はまだまだ遠いようです。 時間が無かったため、
今回ソーセージをトライすることは出来ませんでした。残念。(これが滅法旨いらしい)

我々が食べてる横でつぎなる犠牲者が連れて行かれました。ドナドナのメロディーが
頭をよぎったのは私だけではなかったようです。

合掌

ナイロビより
オシミズ


ウガリ:ケニア人の主食、トウモロコシの粉を水にときながら火にかけて作る。それだけ
ではケニア人も食べない。 ピリピリ(またはカチュンバリ):トマト、タマネギの微塵切りに
緑の唐辛子。とってもからい)
屠殺の風景をデジカメに収めましたが、掲載を控えました。(ご希望の方はお知らせください。)


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カラッキシ・ナイロビ
「ナイロビからのひとりごとNo.2 −キベラ突撃潜入編」


ジャンボ!皆さんしばらくです。今回は2回に分けて先週末に訪ねたスラムについて
です。

2002年5月26日(日)快晴

キベラ突撃潜入レポ(前編: お宅拝見!)

ついにキベラを再び訪れる日が来た。3年ぶりである。
あの辺りから漂う悪臭、屈託なくちょっと興奮気味に“ハウアーユー?ハウアーユ-?”
“ムズング!ムズング!”と言って近寄っては握手を求めてくる子供たちの姿が浮かんで
くる。

キベラとはナイロビにあるケニアで一番、アフリカで二番目に大きいと言われるスラ
ムなのだ。人口は80万人ぐらいらしい。誰も正確な数は知らない。

訪問は雨期が過ぎて実現した。
かねてから約束していた勤務先のケニア人スタッフの家に招かれた。
彼の名前はオニャンゴ。妻ひとり、子供4人のパパなのだ。

なぜ雨期が過ぎるのを待っていたのか?それは、雨が降ると彼の住むキベラ地区はぬ
かるみにぬかるみトンデモナイことになってしまうからだ。

その日は、午後一時にキベラ沿いの道端で待ち合わせ。ジャンボ荘で僕のお隣さん日
本人青年Mに車で連れてきてもらった。M青年にとっては初めてのスラム突入であ
る。緊張した面持ちである。待っていたオニャンゴと彼の妻、それから友人が車に乗
り込み、キベラ深部へと我々を導いて行く。道がどんどん細く険しくぼこぼこになる
つれ、Mの顔もどんどん険しく眉間にしわが寄ってきた。さっきから車の底はゴツ
ン、ガタン、グワタンと激しい音を立てている。こりゃ車が壊れちゃうなと思いつ
つ、がしがしと悪路をセダンが進んで行く。

オニャンゴが“そこを右!”といった瞬間、Mはついに“No, I can’t!!”と荒げた
声で答えた。見るからに彼の車では越えることが出来ない凹凸である。内心僕もおい
おい、オニャンゴここを通れというのかい?と思った。仕方なく、来た道を引き返し
少し離れたところから歩いて行くことにした。目の届かぬ所に車を置いて離れること
を嫌い、スラム拒絶反応を起こしてしまったMは僕を降ろし、後で迎えに来ることに
なった。仏頂面であった。刺激が強すぎたようだ。申し訳ない。

さて、気を取り直して我々一行はオニャンゴの家へと向かう。道は更に細くボコボコ
になっていく。路沿いに適当に掘ってある排水溝にはごみが溜まって相変わらず何と
も言えないニオイを辺りに撒き散らしている。

去年キベラ内で引越しをした彼の新居はハイム内山208号室の半分ぐらいの広さ。
入った瞬間暗くてよく見えないが、そのうち目が慣れると部屋の中も見えてきた。一
部屋を布で応接用と台所・寝室用のスペースに区切って使用している。そこで親子6
人が暮している。部屋の中はきれいに片付けられ床は地面だがごみ一つない。

家の前にはすぐ別な家が立っている。42条2項道路の騒ぎではない。密集の極致であ
る。全体は長屋式である。屋根はトタン、壁は土と木、床は地面である。水道、電
気、ガスといった公共サービスはもちろんない。近くに水が引かれておりポリタンク
等に注いで購入する。ただし、その水道代金が市の水道局に支払われているかは不
明。

以前はなかったテレビがあるではないか!!電気無いのにどうやって見てるん
だ?!?!と聞くと、バッテリーで観ているらしい。映りの悪いテレビにアメリカの
プロレス番組が流れていた。年老いたハルクホーガンがひどく弱々しく見えた。この
テレビ、4日に一度は充電が必要で充電一回につき30Kshかかる。

ピーナッツと、外のキオスクで買ってきたコーラを振る舞われる。奥さんが料理に取
り掛かる。フライドミートとトマトを一緒になんだかよく分からぬ調味料で炒めたも
のとウガリ。これが中々美味であった。ごちそうである。水を出されたが、むむ、こ
れを飲むと肝炎かチフスか…..?!色々頭をよぎり結局口にはしなかった。

遅い昼飯の後、家の前で家族写真を撮り、男共はギラギラと照り付ける太陽の下、真
昼のキベラを飲み屋を求めて御出かけした。
つづきは次号にて。

オシミズ
ナイロビにて


注1)ジャンボ荘:正式名称Jambo Holding。筆者のナイロビでの居住地。詳しくは、
後日述べる。

注2)ハイム内山208号室:筆者が以前住んでいた東京にある木賃アパート。4.5畳
二間。詳しくはハイム内山便り参照。

注3)42条2項道路:東京等の密集地でよくお見掛けする4m未満の道に面する家が立
替えを行う際に、土地を道路として提供しなくてはならないと建築基準法で定められ
ている道路。ちなみに前出のハイム内山は当該道路に囲まれちゃっている。

写真説明:オニャンゴの家の前で彼の子供たちと友人と。友人が恐い顔つきをしてい
るが実際は始終笑顔であった。3年ぶりの再会をとても喜んでくれた。


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カラッキシ・ナイロビ
「ナイロビからのひとりごとNo.3 キベラ後編 子供と酒」


皆さんワールドカップ楽しんでますか?ケニア人もサッカー好きであちこちでサッ
カーの話題をしています。ベルギー戦の同点は惜しかったですね。

さて、今回のひとりごとはスラム:キベラ後編です。

2002年5月26日(日)快晴

キベラ突撃潜入レポ(後編: 密造酒と素直な子供たち)

太陽がギンギンギラギラ照り付ける中、男達は酒を求めて真昼のキベラへと繰り出し
ていった。目指すはローカルアルコールを販売するバーである。バーと言ってもドラ
イマティーニやフォアローゼズなどが出てくるようなコジャレたもんではない。それ
こそその辺の一部屋がそのまま一杯飲み屋に変わっただけである。

行く先々で、子供たちが寄ってくる。天然記念物を見るかのようにやや興奮気味に
“ハウアーユー!!”、“ムズング!ムズング!!” (注1)、と話し掛けてく
る。嬉しそーに近寄るものもいるし、緊張した面持ちでこちらの出方を伺いつつ接近
してくる子もいる。肌の色が黒くない人はあまりこのエリアには立ち寄らないので珍
しいのである。更に、コヤツ等は握手を求めてくるのである!!あたかもスターにで
もなった気分である。泥だらけの小さな手をこちらも順々に握りかえしていった。微
笑み返すと、コヤツらは総じて倍の笑みで返してくる。最初緊張していたものも打ち
解けてくるとニコニコの大安売りをはじめるのだ。

ただ、中には手を差し出しながら“金をくれ”と元気なさげに言って来る者もいる。
ダウンタウンでよく見かけるこうしたストリートチルドレン(注2)はここにはあま
りいない。僕の出会ったキベラの子供たちは子供本来の純真さと屈託のなさを失わな
いでいる。のどかであーる。

さて、そうこうしている内に一行はオニャンゴの行きつけの酒場に辿り着く。その辺
の建物と何ら変わらぬ所である。あいにく今日は満席のようだ。仕方なく、我々は外
で飲むことにした。

まずは、オニャンゴの友人のアモスが一本注文する。50Ksh(80円)で
300mlぐらい。透明なその液体は粟(あわ)を原料としているとのこと。ここで
出す酒では上等の部類らしい。チャンガと言う。ワンショットグラスを三つ用意して
くれた。アモスはこれを一気にあおり、“こりゃタマランーぐるじいー”といった表
情をした。この酒、果たして大丈夫なんだろうか?!?!先月の新聞Daily
NATIONにもスラムで密造酒を販売していた女性の裁判の記事があった。なんで
もメチルアルコール(もちろん非合法)の酒を飲ませて100人以上を死に追いやっ
たらしい。

何はともあれ僕もえいや!っと舌先でちょろっと試してみる。麦やら芋でつくった焼
酎のようである。続いて、喉から食道、胃へとぐいっと流し込む。アルコール度数は
約25度ぐらいと推定。近くにいた別な客がこんな所にムズングが来てるよと驚きな
がらも話かけて来る。親切にも、“そいつぁ足にくるから用心しなよ”と忠告してく
れる。別な客はここのことは外で言わないでくれと言う。やはり非合法なので警察に
見つかるとヤバイのだろう。

時間も迫ってきたので引き上げることにした。本来であれば、これを二軒、三軒とは
しごして行くのであるが今日は一軒のみだ(注3)。酒好きアモスは、もう一軒行こ
う!行こう!!と誘ってくるが4時30分にはM青年が舗装された道まで僕を迎えに
来てくれるのだ。ありがたやありがたや。
オニャンゴの家にもう一度立ち寄り奥さんと子供たちに挨拶をする。
ほんのりアルコールが入り、太陽の下を歩いた体もほぐれ上機嫌で家路についた。

はーーー今日も楽しかった。
人生楽しんでばかりでいいのであろうか???????
やはり涅槃は遠い.......か。

でも、子供も喜んでたしめでたしめでたしなのだ。

オシミズ
ナイロビにて


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注1)ムズング:元々は白人の意味。ただし、後々日本人やら中国人、韓国人など
やってきてこいつらも我々とは違う肌色ということで日本人もムズングと呼ばれるよ
うになった。

注2)ストリートチルドレン:途上国の都市部の路上で見かけられる子供たち。基本
的には親の無い子供たちだが中には親もいるこもいる。彼等がお金を求めるときは僕
はビタ一文やらないことにしている。お金を渡してもシンナー吸引に使ったりして必
ずしも為にはならないのだ。でも、本当に食べ物を買いたくてお金を求めるものもい
るだろうがその辺は区別がつかない。どうしたものか。

注3)スラムの飲み屋ではまず外で売られているビールにはお目にかからない。彼等
の所得水準から見て、工場で作られる瓶詰めのビールは高い飲み物なのだ。部族ごと
の酒もあり、色々な種類があるらしい。日頃の憂さをはらすとともに社交の手段とし
てアルコールは欠かせないようだ。でも、みんな飲みすぎには注意なのだ!!!

写真説明:オニャンゴの長男エドウインくん9歳です。オニャンゴの家から少し広め
の路に出た所で撮影しました。屋根は、トタンで地面は舗装されていません。

次回予告:この次の週に再びキベラを訪れました。さて、そこに待ち受けていたもの
は?!?!涅槃接近度急上昇の善行の巻
カラッキシ・ナイロビ
「ナイロビからのひとりごとNo.4 再びキベラ−涅槃まっしぐら善行編」



いやー日本いいですね。アフリカ勢もセネガルが頑張っています。
14日は日本対チュニジア戦ですね。一体日本全国の勤め人の何人が有給とって試合に
釘付けになるのでしょうか?
頑張れニッポン!頑張れアフリカ!


=====ナイロビからのひとりごとNo.4=====
再びキベラ−涅槃まっしぐら善行編


2002年5月31日(金)やっぱり今日も快晴

雨期も終わり今日もやっぱり快晴なのだ。
天気も良いので仕事をさぼってAMDAのヨコモリ夫妻(ヨコケン・ジャーマネ)に
誘われて彼らのキベラでの活動を密着取材することとなった(注1)。

AMDAは月一回、キベラ内の清掃活動をスタッフと地元住民のボランティアで行っ
ている。男性と女性とで大きく二グループに別れてきれいにして行く。女は軽作業系
で路の小さな溝に溜まったゴミの収集。男は力仕事系のドブサライ。今日の私に課せ
られた使命は、その尊い清掃活動にボランティアで参加している住人たちのきらりと
光美しい汗を劇写することであったのだ!(実は、清掃活動に従事するには僕の衣服
がコギレイなので汚れちゃうといけないので今日は見学でどうですかとのヨコケンか
らのアドバイスだった。)

9時集合。のはず。AMDAスタッフを除きだーれも集まらない。
ヨコケン:“いつもみんな集まんないんですよ、ビリヤードでもやってましょうか?
(注1)”
僕:“えっ??ビリヤードここで出来るんですか?”
ヨコケン:“出来ますよ、台傾いてますけど。(笑)”
バラックの建物の中に食堂らしきスペースと共に、ビリヤード台がどことなくキベラ
だなーと思わせる使い込まれた風体で鎮座していた。恐らくこの広いキベラ唯一の台
ではなかろうか。
カシゲタ台で2、3ゲーム楽しむうちに人も集まってきたようだ。

午前10時。30人ほどのオトコとオンナがAMDAの支給する清掃用のユニーフォー
ムとアムダキャップを身にまとい、いざ出陣。集合場所から歩いて5分ほど離れた溝
が今日の男達の活動の場だ。幅4m、深さ2mほどの溝は住民の投げ捨てたゴミで埋
もれており水の流れを完全にせき止めてしまっていた。4、5人の筋肉隆々的ケニア人
男性が大型の鋤でえいやっ!えいやっ!とゴミを溝の上へと持ち上げて行く。ケニア
人に混じり、我らが日本代表のヨコケンも山で鍛えられた四肢でもって黙々とゴミの
山をやっつけていく。いつ尽きるともないゴミの群生は見るからにかなりの重労働で
ある。へたれの僕は内心、“これやると腰いわすだろうなー、写真係であー良かっ
た、みんながんばれよ!”と思っていた。ゴミの内訳は、トウモロコシの皮、紙屑、
空缶、空き瓶、空きプラスチックケース、などなどキベラ生活の凝縮である。

一方、女性軍は溝の地点から更に奥へ奥へと進み、一隊は小溝からゴミをサッサと掃
き出し、もう一隊がそれを大きな黒ビニール袋へと詰め込む。ジャーマネから“みな
さんをかわいく撮って下さいね!”との注文。うーむ、かわいく?!掃除風景をかわ
いく撮るのはなかなか至難の業であるが善処してみた。

男性軍と女性軍の間を行ったり来たりしながらパシャパシャ撮っていると、チャラ
チャラ風の男がやって来て自分もやりたいのだーと言いだした。金のもらえる仕事と
思ったらしい。無給であることをヨコケンが告げてもなお、やりたいのだーと告げ
る。“おお、この清く尊い清掃活動が徐々に付近の他の住民にも伝わってきているの
だ!”とあまちゃんの僕が思っていると、冷静なヨコケンが“ああいう手合いが面倒
なんですよ。ボランティアでやりたいと言ってあとから何かと付け入ってくるんです
よ。”なるほど、いろんな輩が金・物を目当てにアプローチして来るらしく見極めが
大事なようだ。

11時30分を過ぎ大溝もかなりすっきりした。準備した100枚のゴミ袋も使い切った。
一部のゴミは流れだした水に乗って排水溝の彼方奥へと消えていった。ダムに行き着
くらしい。そこがすべてのゴミの終着駅になっている。ゴミ問題は根本から解決され
た訳ではなかったのだ!!しかし、それは国家規模の清掃活動を要するので30人ぐら
いではなんともならない。国連環境計画(UNEP)がダムの清掃活動を計画したが
結局、富栄養で育った雑草を刈るにとどまったらしい。世界各国ゴミと人間は切り離
せない運命(さだめ)なのか。ここにも人間のひとつの業をみた。

何はともあれ目の前のゴミが無くなってめでたしめでたし。掃除はほんとうにいい。
使い終わった道具等の汚れを女性陣が洗剤できれいに洗い流していく。男女でうまい
こと分業がされている。写真撮影しかしなかった僕の心も、なぜかきれいになったよ
うだ。かつてぼくの敬愛する先輩が偽善も積み上げていけば本当の善に近くなってい
くと語った。やはり、見せかけだけでも善行を積むことが私に残された唯一の涅槃へ
の道なのではないか?!と訳の分からない結論を導きながら、“次回は、是非ドブサ
ライに参加するのだ”と心の中で固く誓い昼下がりのキベラを後にした。

オシミズ
ナイロビにて


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清掃活動開始直後 清掃活動終了後

補足:キベラには、フライングトイレというものもあるらしい。これは、ビニール袋
に用をたし、こういった溝(大)に投げ捨てるというかなりきわどい反則的トイレで
ある。

注1)AMDAは岡山県に本部を置く医療関係のNGOである。キベラにはクリニッ
クの他に縫製・大工の訓練所を持っている。ヨコケンさんは僕と同じ国連ボランティ
ア(UNV)からAMDAに派遣されており、彼のとってもかわいい奥さんは
AMDA職員でありヨコケンさんの上司になる。“家庭内でも上司なんですよ(ヨコ
ケン談)”彼女は大学時代アメフト部のマネージャーをしていた時から男性をマネー
ジする術を学んできたようだ。

注2)ビリヤード。何を隠そう娯楽の少ないケニアで最近ハマッテいるのがビリヤー
ドである。面子はお隣さんのM青年と今回初登場のヨコケンさんである。ケニアでは
1ゲーム毎に支払う。値段はキベラでは20シル(32円)、バー等では40から
50シル(64−80円)程度。

写真説明:清掃活動開始直後、終了後。きれいになっているのが分かるだろうか??


訂正:前々号でキベラには水道が通っていないと申しましたが、実際は金を持ってい
る人が水道管を引いており、それを大きなタンクに溜めて他の住民に市の設定する料
金より高い値段で販売しているそうです。

カラッキシ・ナイロビ


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